思い通りに行かないことが多い、この人生の中で、半年に一度のイベント(※ただ病院行くだけ)は、心穏やかに迎えることはできそうもない。
世の中では、マスクの着用を全くではないが、屋外でも外すことが許されるようになり、まさに、永かったコロナ禍も収束しようとしている。
そんななか、半年ぶりにおそらく半日ぐらい家を外出する(※ただ病院いくだけ)
こうなる前は、気分屋だから、変化を楽しむなんてこともできたような気がする。
ところが、今は、変化というものにやけにストレスを感じてしまう、生理的に寄せ付けなくなってきている気がする。
これまでと比べると、あまりに生きる世界が閉塞しているから、また、その状態を享受できる環境に幸か不幸か、生きることが出来るので、これも致し方ないだろうと思うけど、時折、頭をよぎるのは、この生活は多分、イヤ、間違いなく永遠に続くことはないということ。
それは大きな変化をもたらすだろう。
明日は、その予行演習だとでも考えておこうか。
だって、カツカツで生きていい結果は望めない。
何事もゆとりさえ、気持ちに少しでもあれば、それだけ行動や判断に幅が生まれるというもの。
ものは考えようなのである。
ではでは今日生きている奇跡にありがとう。
明日も良き一日でありますように。