「あとは、どこで妥協するか、ですね。」
おそらくは、4年前の今頃だっただろうか、僕は、2回目のDBSの手術をして入院していた。
術後、数週間が経ち、毎日、DBSのリモコンと睨めっこする日々。
そんなある日、主治医が僕にいったことばである。
そのときは、記憶をたどると、休職期間も消化してしまい、職も失ってしまっていたと思う。
1回目のときのようには、いい状態ではなかった。
リハビリをやっても、かろうじて歩く程度はできても、車いすは手放せない。
一人で外出なんて、夢のまた夢のように思われた。
リモコンでできる電圧を上げ下げしたり、パターンを変えたり。
退院する時には、ある程度、一人で歩けるようになりたかった。
しかし、電圧を上げ過ぎるとジスキネジアが出たり、チカラが入り過ぎて動きが悪くなる。
また反対に下げ過ぎるとオフが来たり、動くのもキツくなったり。
一体、いつ退院できるのか、先が見えなくなっていた。
そんなときに、主治医があの言葉を僕に告げた。
そうか、僕が妥協できないから、退院できないんだ、とその時きづいた。
それから、僕はその状態での自宅療養について考え始めた。
トイレには歩行器が必要なので、その手配や、とりあえず、一人で風呂に入る練習などは、大きな目標になった。
DBSの電圧調整は、家に帰ってのんびりやればいい。
4年前の世界選手権は、病室で観戦した。
先にあまり大きな目標を置くことは悪いことではないが、小さな目標を置いてそれをクリアすることで、少しだけど前進することもある。
今現在、僕の長期的な目標は、病院で訊かれたらこう言うことにしている。
現状を維持することだ、と。
ではでは今日生きている奇跡にありがとう。
明日も良き一日でありますように。