精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

4年前…。

「あとは、どこで妥協するか、ですね。」

おそらくは、4年前の今頃だっただろうか、僕は、2回目のDBSの手術をして入院していた。

術後、数週間が経ち、毎日、DBSのリモコンと睨めっこする日々。

そんなある日、主治医が僕にいったことばである。

 

そのときは、記憶をたどると、休職期間も消化してしまい、職も失ってしまっていたと思う。

1回目のときのようには、いい状態ではなかった。

リハビリをやっても、かろうじて歩く程度はできても、車いすは手放せない。

一人で外出なんて、夢のまた夢のように思われた。

リモコンでできる電圧を上げ下げしたり、パターンを変えたり。

退院する時には、ある程度、一人で歩けるようになりたかった。

 

しかし、電圧を上げ過ぎるとジスキネジアが出たり、チカラが入り過ぎて動きが悪くなる。

また反対に下げ過ぎるとオフが来たり、動くのもキツくなったり。

一体、いつ退院できるのか、先が見えなくなっていた。

 

そんなときに、主治医があの言葉を僕に告げた。

そうか、僕が妥協できないから、退院できないんだ、とその時きづいた。

 

それから、僕はその状態での自宅療養について考え始めた。

トイレには歩行器が必要なので、その手配や、とりあえず、一人で風呂に入る練習などは、大きな目標になった。

DBSの電圧調整は、家に帰ってのんびりやればいい。

4年前の世界選手権は、病室で観戦した。

 

先にあまり大きな目標を置くことは悪いことではないが、小さな目標を置いてそれをクリアすることで、少しだけど前進することもある。

今現在、僕の長期的な目標は、病院で訊かれたらこう言うことにしている。

現状を維持することだ、と。

 

ではでは今日生きている奇跡にありがとう。

明日も良き一日でありますように。

ごきげんよう