僕は2ヶ月の入院から退院した。
その頃には部活はもう辞めていた。
しばらくは、松葉杖を利用していた。
ギブスは取れていたが、足首を固定するための専用の靴をつくった。
それで、学校へ行く。
そんなだから、車での送り迎えが続いた。
学校生活は、ほぼ問題なかったが、体育は見学するしかなかった。
見た感じ、なんだか大怪我をしてしまったようだった。
別に怪我したわけではないのに。
そのことをひとに説明するのが面倒だった。
松葉杖をつき、変な靴履いている、ということで人目が気になった。
後ろで笑い声があると自分のこと笑われている気がした。
手術の経過は良好と言われた。
ただ、予感していた通り、足の動きが普通のひとのようになることはなかった。
得体の知れない違和感を感じながら、時間が過ぎていく。
そして、中学3年の夏、また同じ病院に入院。
2回めの入院は、目的としては、足首を固定するために取り付けていた金具の摘出手術を行うため。
このときは、さすがに大人たちがいる整形外科病棟に入った。
そのころは、まだ、病棟に喫煙スペースなどがあって、寂しいからそこで大人たちの話を聞くのが、暇つぶしになった。
当然、タバコはまだ吸ってないけど。
今考えると、どんだけそのとき副流煙吸ったかわからない。
部屋には大人たちがいたが、あまり出入りが激しくて憶えていることは少ない。
そのなかで憶えているのは、入院当初、同部屋になった初老の男性のことだ。
世間話程度しか話してはいない。
特に親しかったわけでもない。
その男性は、下半身不随だった。
寝返りも自力ではできない。
もちろん、ベッド上で用を足すしかない。
ただ、口は達者だった。
ナースに変なオヤジギャグを連発していた。
そして、とにかく鼾がうるさかった。
慣れるまで苦労した。
比較的静かなのは昼間のほうだった。
そんな彼には一度も誰ひとりとして見舞いに来なかった。
少なくとも僕が入院している間は。
家族構成までは憶えていないが、天涯孤独というわけではないのは知っていた。
2回目の入院は1ヶ月ほどだった。
1回目に比べれば、楽なものだった。
でも、2回目の入院したときの記憶はあまりない。
単純にこの入院はつまらなかったからだろう。
新学期には間に合い、卒業する頃には体育の授業も受けられるようになっていた。
でも、得体の知れない不安が消えたわけではなかった。
身体にメスを入れ、何かが変わったのは確かだが、それでその不安が消えたことではなかったのだ。
つづく。