精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ⑮~DBS、その後~

手術が無事終わり、仕事に完全に復帰するまで2ヶ月ほどかかった。

そのうち、入院期間が1ヶ月ほどではなかったかと思う。

全く同じ職場で、すぐにとはいかないまでも現場復帰できた。

 

これから、約10年の間、多少の波はあれど、人生を楽しんだ。

 

まず、趣味など生きがいを見つけようと思った。

リストラされる前あたりから、カラオケに結構な頻度で行っていた。

それも一人で。

いわゆるヒトカラである。

平日の昼間であれば、かなり安く、しかも長時間いられる。

人目を気にせず、音楽をできるカラオケにはお世話になった。

また行きたいとも思う。

 

それから、バンドやアイドルのライブに行くようになる。

韓国にも行った。

北は仙台、大阪・東京などライブがあれば飛び回っていた。

格安航空券があったので、それが可能だった。

たとえば、ライブがあった次の日仕事が入っていても、早朝飛行機で帰ってきて、直で出勤したりしていた。

 

僕にとっては、そこまでする価値があった。

誰かのために、その人を応援する。

その人がもっと頑張っていく。

その姿に感動し、勇気づけられる。

まったく好循環しかなかった。

 

おまけに、ライブのときは体力も必要だ。

2時間ぐらいは立ちっぱなし。

さらに、そのうえ飛んだり、叫んだり、拳を突き上げたり。

これだけでものすごい運動量だし。

それができる身体をキープしなければならない。

日頃から、ジョギングや筋トレはやるようになったと思う。

 

ただ、調子がいいだけに、それを疎かにしてしまうこともあった。

また具合が悪くなる可能性は十分あるのに、薬を飲めばなんとかなる。

自分にとってあまりに居心地がよく、現実逃避には最適だった。

ライブに行くと、アドレナリンやドーパミンがそれなりに出ていたと思う。

ライブ終わりはなんだか調子がいいように感じるのだ。

 

職場でのストレスもあっただろう。

だんだんと薬の量は増えていった。

いつしか、ライブに行きたい、からライブに行かなくちゃ、とどこか義務的に感じ始めた。

焦りもでてきて無理な運動などでつじつまを合わせようとする。

 

あるとき、運動不足解消とライブが近いこともあって、ジョギングをした。

そのときに足首を痛めてしまった。

しばらく、ライブも運動も階段の上り下りにも支障がでた。

運動量が急激におちてしまった。

思い返すとそこらあたりがきっかけではなかったかと思う。

 

 自分カルテは、本日で最終回となる。

分量からいってお分かりかと思うが、中学生のときのことを書き残したかったというのが1番にあった。

それほど、僕の人生のなかで強烈に憶えていたし、今年の入院・手術のとき、思い出すことで、乗り越えるためのチカラになったと思う。

 

書き終わって、思うこと。

それは、誰のせいでもないということ。

 

自分カルテ おわり

 

※なお、本日よりツイッターでの「1日1ツイート」は、諸事情によりブログでの「1日1記事」に変更させていただくことにする。