手術が無事終わり、仕事に完全に復帰するまで2ヶ月ほどかかった。
そのうち、入院期間が1ヶ月ほどではなかったかと思う。
全く同じ職場で、すぐにとはいかないまでも現場復帰できた。
これから、約10年の間、多少の波はあれど、人生を楽しんだ。
まず、趣味など生きがいを見つけようと思った。
リストラされる前あたりから、カラオケに結構な頻度で行っていた。
それも一人で。
いわゆるヒトカラである。
平日の昼間であれば、かなり安く、しかも長時間いられる。
人目を気にせず、音楽をできるカラオケにはお世話になった。
また行きたいとも思う。
それから、バンドやアイドルのライブに行くようになる。
韓国にも行った。
北は仙台、大阪・東京などライブがあれば飛び回っていた。
格安航空券があったので、それが可能だった。
たとえば、ライブがあった次の日仕事が入っていても、早朝飛行機で帰ってきて、直で出勤したりしていた。
僕にとっては、そこまでする価値があった。
誰かのために、その人を応援する。
その人がもっと頑張っていく。
その姿に感動し、勇気づけられる。
まったく好循環しかなかった。
おまけに、ライブのときは体力も必要だ。
2時間ぐらいは立ちっぱなし。
さらに、そのうえ飛んだり、叫んだり、拳を突き上げたり。
これだけでものすごい運動量だし。
それができる身体をキープしなければならない。
日頃から、ジョギングや筋トレはやるようになったと思う。
ただ、調子がいいだけに、それを疎かにしてしまうこともあった。
また具合が悪くなる可能性は十分あるのに、薬を飲めばなんとかなる。
自分にとってあまりに居心地がよく、現実逃避には最適だった。
ライブに行くと、アドレナリンやドーパミンがそれなりに出ていたと思う。
ライブ終わりはなんだか調子がいいように感じるのだ。
職場でのストレスもあっただろう。
だんだんと薬の量は増えていった。
いつしか、ライブに行きたい、からライブに行かなくちゃ、とどこか義務的に感じ始めた。
焦りもでてきて無理な運動などでつじつまを合わせようとする。
あるとき、運動不足解消とライブが近いこともあって、ジョギングをした。
そのときに足首を痛めてしまった。
しばらく、ライブも運動も階段の上り下りにも支障がでた。
運動量が急激におちてしまった。
思い返すとそこらあたりがきっかけではなかったかと思う。
自分カルテは、本日で最終回となる。
分量からいってお分かりかと思うが、中学生のときのことを書き残したかったというのが1番にあった。
それほど、僕の人生のなかで強烈に憶えていたし、今年の入院・手術のとき、思い出すことで、乗り越えるためのチカラになったと思う。
書き終わって、思うこと。
それは、誰のせいでもないということ。
自分カルテ おわり
※なお、本日よりツイッターでの「1日1ツイート」は、諸事情によりブログでの「1日1記事」に変更させていただくことにする。