精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ⑥~中学生編~

この約2ヶ月の入院生活で色々な人と出会った。

 

ある時、空いたベッドにまだ赤ん坊と言っていいほどの男の子が入院してきた。

この男の子、生まれつきだったか記憶が定かではないが、片足と片手の指がなかった。

当然、病室にお母さんが泊まり込むこむ事になっていたと思う。

そのくらいの小さい子だから、夜泣きをする。

その子が泣くと眠れなかった。

おそらく、まだお乳を飲んでいたかもしれない。

 

毎日のように、その子のお父さんも見舞いに来る。

夕方頃だったか、仕事帰りだろう。

すると、3人でそれはそれは楽しく游ぶのだった。

文字通り、その子の手となり足となって、お父さんお母さんと遊んでいた。

幸せそうだった。

その楽しそうな様子は、今でも鮮明に脳裏に焼き付いている。

 

いま、その時の男の子はどうしてるのだろう。

なんだか無性に会いたくなってしまう。

その子はおぼえてないだろうけど。

会えるはずもないけども。

 

一方、精十郎の手術は無事成功した、

と言われた。

手術が終わって、痛かったので夜中に痛み止めの注射を打ってもらったりした。

手術当日は、母がとなりのベッドに1泊ぐらいしてくれた。

心強かった。

それで、なんとか乗り切った。

 

術後は、しばらく歩けない状態だった。

ベッドの上で用を足さなければならなかった。

便秘になって大変だった。

そこについては、Sくん、Tくんはスゴイと感じた。

 

真夏にギブス。

これが最悪だった。

かゆいのである。

しかも、ベッドの上。

 

しばらくして、松葉杖で歩けるようになった。

歩けることがうれしかった。

その自由がうれしかった。

Kちゃんと売店までデート(?)をした。

眠れない夜は、こっそり病棟を抜け出し、誰もいない、だだっ広い外来病棟を散歩したりした。

ギブスが取れたときは、これがまた、うれしくてたまらなかった。

 

そして、僕は退院した。

入院という隔離された世界から、現実社会に復帰しなければならなかった。

 

つづく。