「痛いのを我慢して、よく頑張られてましたよ」
こうやって文字にするとわかりにくいかもしれない。
これは、去年2週間ほど入院した際に、大部屋で同室になった初老の男性患者と看護師の会話で、僕が印象に残っている言葉である。
状況としては、おそらくこの患者が言うことを聞かず、ごねているときに彼をなだめようとして、看護師が放った一言である。
効果てきめんだった。
言葉の意味としては、子供のころによく言う「よくがんばりました」の目上の方や尊敬語の意味あいが含まれた表現である。
僕が印象に残ったのは、この「がんばりました」の言葉を大人のひとに、しかも年上のひとに使ったところに、新鮮な説得力を感じた。
あまりの衝撃に、感動し、忘れないようにメモしておいたほどだ。
考えてみれば、子供のころは、よく聞いたものだ。
なにかあると、「よくがんばったね」とよく先生や大人たちに言われたものだ。
そして、自分が大人になった今、そんな言葉をかけられることはまずない。
自分からひとにもあまり使うこともない。
では、大人になったら、がんばってないのか。
そうではないと思う。
おそらく、大人なんだからがんばって当然だと、どこかで思っているのではないか。
そう感じるのは、もしかしたら自分だけの少数意見かもしれないけれど。
「キツイですか?身体キツイですよね、ダルいですよね。」
これは、ある理学療法士の方が、ぐったりしてリハビリに行きたがらない自分にかけてくれた言葉。
このときは、言葉といっしょに背中や脚や手や全身をさすってマッサージしてくれた。
無理矢理に起こされた感じだった僕も、ここまでされては行くしかなかった。
車椅子を押しながらも、時々背中をさすってくれた。
そして、一時的にしろ、楽になったのは事実だった。
聞くのは誰でもできる。
それが苦しさがどんなで、その状態を共有してくれる、気持ちをわかってるよって意味に僕は感じた。
この方のコミュニケーションのとり方には、感動した。
ほんの数回しか僕の担当はなかったけれど。
その時は、お世話になりました。
感謝しております。
ありがとうございます。
ではでは、また明日。