精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ⑧~高校生編~

普通科共学の家に近くて自分の学力に見合ったところ。

義務教育ではないとか考えたこともなかった。

 

僕は高校生になった。

なんとなく帰宅部はいやだった。

 

そのとき、手術のかいあってか、その度合はわからないがほぼ不自由のない生活はできていた。

ただ、不安なのは、運動だけであった。

特に、遠距離走る、歩く、これは以前と変わらずできなくなることがあった。

なかば、自分のなかでそこから、目を背けて見ないようにしていたのかも知れない。

だから、避難場所として文化部の音楽系の部活に入部した。

もともと音楽は好きだったから心配ないと思った。

思いっきり音楽をしてやると思っていた。

 

だが、日頃から人目を気にしすぎて、この頃極度のあがり症なのか、人前に出ると手足がブルブル震えるようになった。

 

これがホントにあがり症のためか、今のパーキンソン病(振戦※1)となにか因果関係があるのかはわからない。

 

僕にとっては、悩みがひとつ増えてしまったように感じた。

でも、それが若さというものか、一方で楽しい学生生活でもあった。

いわゆる、高校デビューしてみた。

ちょっと悪い友達ができた。

ラーメン屋でバイトをした。

先生がラーメン屋に来て辞めさせられた。

タバコも吸ったりした。

 

タバコは今も吸っているが、このときからずっと吸っているわけではない。

 

音楽は一人で楽器をやっていても十分楽しかった。

それで、みんなとやると、なお楽しかった。

でも、人前で演奏する楽しさが実感できなかった。

緊張しすぎて、震えて手足が言うこと効かないような感じだった。

今度こそは、と思うのだがやはり震えてしまい、落ち込んでしまう。

この繰り返しだった。

 

つづく。

 

※1振戦・・・ふるえること。僕の場合、薬の効き目が切れる、いわゆるオフのときに出ることがあります。