精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ⑩~予備校生編~

結果から言うと、大学に入るまで2年かかった。

そのあいだは、予備校に通った。

親には感謝しかない。

 

根拠のない自信はあったが、やっぱり勉強は好きではなかった。

がむしゃらにやってみたが、長続きしない。

集中力がない。

効率が悪い。

得意な科目は国語。

それだけだった。

 

一言に根性とか、頑張れば報われるというが、そもそもその根性が自分にはなかったのではないか。

今度こそはと気合を入れてみるが、長続きしない。

眠くなる。

机で居眠り。

夜は夜でやっぱり眠たい。

眠気覚ましに散歩に出ると、1時間ぐらい歩いてしまう。

ちなみに、このころ1時間程度は無理なく歩けていた。

散歩の途中、コンビニに立ち寄ると、マンガの立ち読みを1時間。

これも苦もなくできた。

むしろ、机に向かうのが苦痛だった。

 

家中に単語帳のコピーを貼りまくった。

それで満足していた。

目につくが記憶には残らない。

電車のなかでも単語帳をめくっていた。

それも眺めるだけだった。

 

人間突然自由になってしまうとどうしていいがわからない。

成功した人の話とか聞くと、自分もやってみようとやる気になるが、同じようにやってみても、同じようには上手くいかない。

 

予備校の先生たちは魅力的なひとたちばかりだった。

今思うと、大学生のときより、よっぽど大事なことを学んだ気がする。

世の中のしくみとか、そういう基本的なこと。

今思うと、受験勉強というより、予備校の授業を勉強していたような気がする。

 

デキるひとみたいに、前のほうの席に座ってみても、やっぱり手足が震える。

でも、このときは比較的精神的に落ち込むことはなかった。

だって、もしかしたら、合格したら、何か変わるかもしれない、と何故かそんなことを信じ切っていた。

ある意味、前向きだったかも知れない。

だが、成績は上がらなかった。

 

自分で振り返ると、1年目より、2年目のほうが悪かった。

2年で限界を感じていた。

どうにかして、この状態を抜け出したかった。

そして、合格発表。

1校だけ受かった。

それは東京にある大学だった。

 

つづく。