精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ⑨~高校生編~

こんなことがあった。

授業中のこと。

僕は、一番前の席にいた。

科目は、大好きな音楽の授業。

何か先生に質問されると、ウズウズしてしまって、つい手を挙げて答えてしまう。

すると、緊張と興奮によって、手足が震え出し、しまいには居ても立ってもいられなくなり、気分が悪いと言って、教室を飛び出してしまう。

大好きな授業なのに。

嬉しすぎて、ドキドキしてしまったのだ。

また、高校デビューということで気が大きくなったのだろう、目立ちたがりにもなっていた。

 

共学だからそりゃあ、デートぐらいは経験した。

でも、たとえばコンサートを見に行くとして。

当然二人で並んで座る。

すると、好きな娘がとなりにいるという、嬉しさだけでドキドキしてしまう。

やがて、それは気持ちだけでなく、身体の震えに出てくる。

かなり丈夫な椅子でもガタガタ言い出す。

その音がますます気になりだし、震えはひどくなる一方。

女の子の会話どころではない。

また、これもトイレに行くといって、そのままコンサートが終わるまで立ち見するというハメになる。

 

誰でも緊張して震えることぐらいあるだろう。

嬉しすぎて、興奮して手足が震えることもあるだろう。

でも、それはことごとく、裏目に働き、僕はそのたびに落ち込んだ。

なんで僕だけこんな目にあうのか。

やるせない気持ちをいつも抱えていた。

 

普段の生活には問題なかったが、以前として身体を動かすことに関しては、いまひとつ不安だった。

だから、課外授業とか、山登りみたいな、激しい運動が伴う、みんなで寝泊まりするようなことは、ほとんど行かなかった。

また歩けなくなるのが怖かったからだ。

サボるんじゃない、行けないのだ。

一人ぼっちで、寂しかった。

その気持が余計に自分を落ち込ませた。

 

そんな高校生活も終盤にさしかかり、僕はなんとか卒業ができる安全圏にまでたどりついた。

すると、卒業してどうする?ということをいまさらのように考え出す。

進路指導とか、あったにはあったが、そのときは真剣に考えてなかったと思う。

仕事をする気は全くなかった。

となると、進学しかなかった。

しかも、大学のなかでも、有名大学に行くと言い出した。

ただでさえ、おちこぼれなのに。

赤点ばかりで、出席日数もギリギリだったのに。

 

これは、もしかしたら、後付けになるかもしれないが、大学に行けば何かが見つかる、もしくは、これまでの自分から変わることができるのではと考えたのだ。

 

といっても、僕の場合、身体のことを精神論的に打破できるのではないかと感じていた。

いわゆる、根性である。

頑張れば、報われるのだと思った。

 

僕は国立はさすがに無理と思い、私立文系の大学受験にのぞむことになる。

が、現実はそう甘くはない。

1回目の受験に失敗、僕は、社会人でも学生でもない、一番中ぶらりんの浪人生になる。

 

つづく。