第一志望では、もちろんない。
滑り止めの滑り止めぐらいのところ。
地元の大学も受けたのは受けた。
でも、合格したのは東京の大学。
専攻は、国文学科。
あまり生産性がない、分野である。
教職免許をとるか、司書資格をとるか、そのまま大学院に進むか。
そのいずれにも興味はなかった。
というか、教職は人の前に立つものだし、無理。
司書は単位が取れず無理。
研究するにも、そこまでの情熱はない。
まったく、先のことを考えていなかった。
東京ではもちろん一人暮らしをしていた。
大学近くにアパートを借りた。
歩くにはちょっと距離があったので、自転車を買った。
自転車で学校まで10分ぐらい。
駅までは、5分ぐらい。
正直、やっぱり歩くのは好きではなかった。
歩けなくなる、というより、歩くのが遅い。
小股でちょこちょこ歩く。
靴はいつもつま先がすぐにすり減った。
ただ、走ることはできたので、歩くより走ってしまうことがよくあった。
新宿西口あたりで走っていて、派手に転んだことははっきり覚えている。
やめておけばいいのに、やっぱり寂しかったのだろう。
2年のブランクをあけ、高校のときと同じ音楽系サークルに入った。
サークルに入ったこと自体は、友達もできたし、後悔はしていない。
逆に、入ってなければ、何のために大学行ったのかわからなかったと思う。
それくらい、僕にとっては、サークルに入ったのは大きな意味があった。
もちろん、サークルでの音楽活動は、ほぼ高校から変わらず。
人前では震えて、まともな演奏技術は身につかなかった。
だが、そんな下手くそな僕をみて、励ましてくれる友達がいた。
これが救いだった。
おかげで、4年間のサークル活動を全うすることができた。
このころ、一番困ったのは、人と一緒に歩けないこと。
何人かで歩いていても、いつの間にか置いていかれる。
後ろから、他人のようについていくしかない。
後ろにいる自分を気にしてくれる人は、あまりいない。
だから、僕はサークルが終わると、みんなをおいて自転車で一人で帰った。
大学もなんとか単位を取得し、卒論もパスして安全圏は確保できた。
これで留年は正直できないと思った。
いろいろな意味で。
だが、まだ先のことが考えられない。
結局、就活というのはしなかった。
僕は、大学を卒業してフリーターになった。
つづく。