精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ④~中学生編~

初めて入院したのは、中学2年の夏休み。

入院して手術を、これも生まれて初めて。

不安しかなかった。

この得体の知れない、自分の身体の異常がこれで治るとは、正直思えなかった。

もちろん、検査もいろいろやった。

髄液検査までやったと思う。

痛かった。

でも、なにかはっきりとしたことがわかったいうことはなかったようだ。

 

手術は、足首に行った。

足首が不安定になるのを防ぐ、矯正がおそらくその目的であったろうと思う。

足首に金具をいれて固定し、1年後にまたそれを取る手術をする。

かなり長期間にわたる治療計画だった。

結果、最初の入院は、2ヶ月かかった。

夏休みはとっくに過ぎて退院した。

 

この経験によって、入院・手術に対する、ある程度の耐性をもたせてくれたと思う。

たしかに、痛い・苦しいこともあった。

だけど、そのなかで精一杯生きること。

生きることを楽しむということを身体で学んだように思う。

 

このとき、まだ母方の祖母が生きており、入院中によく見舞いに来てくれた。

真夏の炎天下に汗をかきながら、笑顔でやってくる。

あのときのおばあちゃんの優しさが最近妙に思い出される。

ありがとう。

ごめんなさい、今は、こんなだから墓参りにもろくにいけません。

 

いつも、おばあちゃんはなにかを持ってきた。

お菓子やらなんやら。

そして、帰り際にお小遣いをくれる。

当時は、そのありがたみがあまりわかっていなかった。

励ましの言葉もいっぱいかけてくれたような気がする。

ありがとう。

いつか、おばあちゃんの墓参りに行くからね。

 

入院した病院には、総合病院だからいろいろ病棟があった。

僕は、歳も歳だし、大人に囲まれて肩身の狭い思いをさせるだろうという配慮もあってか、整形外科の隣の小児科病棟に入院することになる。

結論から言うと、この2ヶ月の入院生活は楽しかった。

今はそう言える。

詳細については、また明日。