精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

自分カルテ~番外編~

その日、僕は初めての病院での受診日だった。

おそらく、2018年11月ごろ。

その日が、一人で病院に行った最後の日になったのかもしれない。

電車、バスを乗り継いで、片道1時間近くかかった。

最後のバス停に降りると、風がすごかった。

海が近いせいもあり、台風かと言わんばかりに飛ばされそうになった。

 

時間に余裕はもって出たので、はやく着いてしまった。

初めて行く病院で、しかも足元はおぼつかない。

やっとのことで、ギリギリで辿り着いた感じ。

すくみ足がひどかった。

バスセンターでも、かなり足がすくんでしまって、立ちすくんでしまった。

いつ転んでもおかしくなかったと思う。

 

約3ヶ月後にここで手術することになるとは、考えてもいなかった。

キレイな比較的新しい病院で、中は広々していた。

まだ受付にも時間があったので、なるだけ広いホールのところのソファで時間を潰すことにした。

ONだったか、OFFだったのか、定かではない。

その境目さえ曖昧に感じはじめていたと思う。

座りっぱなしの状態もキツいので、少しすると立って、屈伸運動などしていた。

 

その病院には、なかにコンビニなどもあり、僕の待っているホールで飲食などもできた。

何気なく見ていると、目の前をまさに自分のような動きで、なんとか歩いている人を、

何人かみかけた。

どのひとも危なっかしい。

僕もあんなふうに見えてるんだろうと思っていると、ふとある電動車椅子に乗った男性が目に入った。

 

その男性は、もうひとりの家族と思われる男の人に付き添ってもらって来ていた。

入院されているのであろう、気晴らしに病棟から降りてきたような感じだった。

なんとなく、僕には二人が兄弟に思えた。

二人の間には、会話はない。

チラと顔は見えたが、電動車椅子のほうは弟さんではないかと思った。

少なくとも親子ではない。

僕と同じ向きに車椅子を止めたので、お兄ちゃんの顔しか見えない。

 

そして、おそらくもう自力では動かないのであろう、弟さんの足を片足ずつ優しくマッサージをしている。

お兄ちゃんは静かに微笑んでいるようだが、口は動かない。

二人の間に、会話はない。

 

すると、その反対側にふたりの母親と思われる女性が座った。

彼女が母親かどうかわからない、勝手にそう思った。

彼女もお兄ちゃんと同じように言葉を発しない。

それはそれは愛おしげに、まっすぐに弟さんを見ている。

弟さんの表情は僕のほうからはわからない。

この3人の間には、ことばは必要なかった。

 

それを見た時、突然僕の目から涙があふれて止まらなくなった。

人知れず、僕は号泣した。

声がもれそうになったので、口を押さえた。

 

そのとき、どうして自分が泣いたのか、なんてどうでもいい。

ただ、そのひとたちは、間違いなく家族だったのだと思う。

 

 

ではでは、また明日。