精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

そんなこと言われても

無理なものは無理。

そう思っていた。

でも、いまは違う。

 

僕は完全に無気力になっていた。

それは、今年の2月、手術前後のこと。

全てがどうでもいい。

どうにでもなれ。

ほとんど絶望に近い。

 

だが、なぜか今はブログを毎日書いている。

生きている証を残すため。

それが、今僕が生きているということ。

 

身体が動かない。

気持ちだけではどうにもならない。

すると、心が折れる

諦めてしまう。

そして、なにもやる気がなくなってしまう。

 

これを下手に頑張ろうとしても、そうはいかない。

気持ちの問題とひとは言うけれど。

身体が急に動けないとき、歩けないとき、どうなるのか、体験してみてほしい。

実際、体験しないと多分わからない。

ただ、がんばれで片付けてしまう。

そんなこと言われても、怒りしか感じない。

がんばるということがそもそもできないのに。

家族でも、他人だからわからないんだ、と腐ってしまう、

 

そんなときは、時間に身を委ねるしかない。

身体や心にはの自然治癒力があると僕は思う。

そのときは、そんなこと考えもしなかったけれど。

 

無気力なとき、なぜかはわからないが、涙がでることもあった。

実は、それも意味があることだったのではないか。

身体が生きようとしてくれているのだ。

無気力のなかで、目から涙を流して、悲しいという感情を思わせることができた。

 

無気力なときは何もない。

ほとんど、トイレと食べることと、寝ることしかできない。

何も考えられない、感じない。

 

すると、僕は退屈だと思い始める。

そして、動けないとき、「よいしょっ」と声を出すようになった。

少し身体が動いた気がした。

 

今日もやることやって、1日3食たべて生きている。

無気力になったからって、心まで折れてしまっても、やがて少しずつだが、心にも回復する力があるのだと僕は思う。

だから、いまこうしてブログを書いて、それを読んでくれる人が居て、僕は幸せだと思える。

今はただ感謝しかない。

 

ではでは、また明日。