無理なものは無理。
そう思っていた。
でも、いまは違う。
僕は完全に無気力になっていた。
それは、今年の2月、手術前後のこと。
全てがどうでもいい。
どうにでもなれ。
ほとんど絶望に近い。
だが、なぜか今はブログを毎日書いている。
生きている証を残すため。
それが、今僕が生きているということ。
身体が動かない。
気持ちだけではどうにもならない。
すると、心が折れる。
諦めてしまう。
そして、なにもやる気がなくなってしまう。
これを下手に頑張ろうとしても、そうはいかない。
気持ちの問題とひとは言うけれど。
身体が急に動けないとき、歩けないとき、どうなるのか、体験してみてほしい。
実際、体験しないと多分わからない。
ただ、がんばれで片付けてしまう。
そんなこと言われても、怒りしか感じない。
がんばるということがそもそもできないのに。
家族でも、他人だからわからないんだ、と腐ってしまう、
そんなときは、時間に身を委ねるしかない。
身体や心にはの自然治癒力があると僕は思う。
そのときは、そんなこと考えもしなかったけれど。
無気力なとき、なぜかはわからないが、涙がでることもあった。
実は、それも意味があることだったのではないか。
身体が生きようとしてくれているのだ。
無気力のなかで、目から涙を流して、悲しいという感情を思わせることができた。
無気力なときは何もない。
ほとんど、トイレと食べることと、寝ることしかできない。
何も考えられない、感じない。
すると、僕は退屈だと思い始める。
そして、動けないとき、「よいしょっ」と声を出すようになった。
少し身体が動いた気がした。
今日もやることやって、1日3食たべて生きている。
無気力になったからって、心まで折れてしまっても、やがて少しずつだが、心にも回復する力があるのだと僕は思う。
だから、いまこうしてブログを書いて、それを読んでくれる人が居て、僕は幸せだと思える。
今はただ感謝しかない。
ではでは、また明日。