精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

空白の4ヶ月

今だから言えることかもしれない。

そのころの自分を思い出すと、無気力に近い状態は退院後も続いた。

今年4月~8月ごろまで。

 

毎日動画配信サービスで海外ドラマを1日中見ていた。

AmazonFireStickTVを買ってTV画面で見れるようになった。

 

これは入院中も重宝した。

病室が個室だったので、アニメを見て号泣したりした。

そんなときに限って、急に看護師のかたが入ってきて恥ずかしかった。

 

退院してからは「24」「デッドマン・ウォーキング」「プリズン・ブレイク」「メンタリスト」など手当たり次第に見まくった。

というか、身体が重くて、唯一それが僕ができることだった。

あとは、You Tubeなどを見て時間を潰した。

テレビ番組は見なかった。

興味がなかった。

たまに、ニュースなど目につくが、悪いニュースが流れていると、気分が落ち込んだ。

 

この数カ月間、外に散歩に出ることさえなかった。

とりあえず、朝起きて、ごはん食べて、動画見る。

海外ドラマは続いて行くし、前に進んでいくような気になった。

ひとつの作品が見終わったしまうと、かなりの喪失感があった。

何年か分の海外ドラマを毎日イッキ見している。

 

今思うと、それはそれでキツい状態だったかもしれない。

ただ、そのころの僕にとってはそれが精一杯だった。

退院はしたものの、身体は重く、オフがキツイ。

家のなかでは、歩行器で移動していた。

毎日床に敷いた布団の上で過ごした。

ずっと同じ体勢が続くので、それはそれでどこかしらが痛くなった。

股関節とか膝とか肩とか。

移動するのは、自分の部屋から、トイレ、風呂、ダイニングまでだけ。

 

6月頃から訪問リハビリの理学療法士の方に来ていただいている。

そのころは、そんな生活だったから、唯一家族以外と会話をすることができた。

週2回少なくとも、それだけは最低でも身体を動かす。

でも、こうすればいい、ああすればいいと言われても、なかなか言われたとおりにはいかなかった。

 

結局、それを受け入れるだけの心の余裕がなかったのだ。

時間をかけ、自分のなかで消化してからでないとやろうとする気になれない。

今現在も多少その傾向は残っていて、すぐ行動に移すような瞬発力があまりない。

身体がそもそも追いつかないのもあるが、それにともなって行動する自分が想像できないので、まず拒否反応を示す。

ゆっくりイメージができて、身体も追いついて、よしやろうとはじめて行動に移していけるのだ。

 

ゆっくり少しずつ 少しずつ、一歩ずつ一歩ずつしか進めない。

でも、いまは前を向いて進んでいる。

 

ではでは、また明日。