精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

生きてさえ。

Aくんは、同級生で生まれながらにして知恵遅れの障がい者である。

小学校までは、特別学級に入り、同じ学校に通っていた。

高学年ぐらいのころ、僕はAくんの世話係的なことを担当することになった。

修学旅行とか、遠足とか、運動会とか、行事ごとに一緒に行動する。

特別たいしたことはやってない。

世話係といったが、Aくんはあまり自分から意思表示をしないので、トイレに一緒に行ってあげるとか、弁当を一緒に食べるとか、話しかけたり、あとはただ一緒にいるだけ。

とにかく一人でどこかに行ってしまわないように見ているだけだった気がする。

 

実は、Aくんの家は、僕ん家から、数分歩いたところにある。

ご近所付き合いこそないが、Aくん家の前をよく散歩で通ったりする。

そんなとき、時々Aくんを見かけることがある。

 

小学校以来、まともにしゃべってない。

声をかけたりもしてない。

僕が高校生のときは、その道が通学路でもあった。

おそらく、Aくんは小学校を卒業して、養護学校へ進んだのだろう。

何も知らないのだけど、今は自分と同じ40代後半である。

 

Aくんは、いつも微笑んでいるように見える。

少し口を開けて歯が見えているからかもしれない。

なにをするとはなく、家の周りをブラブラしたり、時々走ってみたり。

時には、ご家族に言われたのであろう、庭をほうきで掃除していたりする。

 

自分も状況は違えど、曲りなりにもいまは障がいをもっている。

自分のことならいざ知らず、Aくんの生活などは想像もつかない。

ましてや、ご家族のご苦労などを推し量っても余りあるくらいだ。

おそらく、仕事はしているのだろう。

しかも、驚くほどの低賃金で。

そのぐらいしか、想像できないが、自分と同じ年月をAくんも生きてきたのは確かである。

 

そんなAくんを、今日また、見かけた。

僕は、コンビニに行く散歩の途中。

Aくんは、また家の周りをブラブラ歩いていた。

僕は、コンビニに行くとはいえ、歩きながら声をかけるなんて、ちょっと緊張してしまう。

多分、足がすくんで転けそうになるかも。

Aくんは、僕のこと覚えているだろうか。

今日は何気なく素通りしてしまったが、いつか勇気をもって声をかけようとふと思った。

 

ではでは、また明日。