食欲は、あまりあるほうではないと思う。
毎日3食欠かさず食べるが、それほど量は入らない。
毎食、母の作ってくれたものであることがほとんど。
それは感謝するしかない。
自分は、恵まれている環境だと思う。
8時、11時、18時の時間にほぼ毎日決まっている。
母の都合も考慮されたものだ。
食後に薬を服用する。
あと最近は大丈夫になったが、完全にオフになってしまうと、動けないので、無理のないように、食間・食前などにも薬を服用することもある。
食事のときは、水分をなるべく多く摂る。
薬の服用を考えて、体内でできるだけ薬が溶けやすい状態をつくっておく。
あと、今年の夏からだが、お茶もカフェインが含まれており、利尿作用があるらしく、脱水状態になる可能性を考慮し、食事中はお茶ではなく、水を飲んでいる。
大きめのコップに1杯は必ず飲む。
小腹が空くことは、ある。
そのときは飴玉を舐めている。
自分的に「龍角散ののどすっきり飴」はマストである。
空腹感もまぎれるし、気分転換にもよい。
1種類では飽きるので、何種類かののど飴系がいつもある。
間食もいまではほとんどしない。
毎週土曜日は、コンビニに行くので、そこでついついスウィーツ(あんこ系)を買ってしまうが、やっぱり胃に残っていて、胃もたれたまま、夕食になることが多い。
こうなると、作ってくれた母に申し訳ない気持ちだけで、食べている感じになる。
あまり味わって食べるということがない。
あまりこれは、心身ともによくないところだが、なにごともバランスを考えたいところだ。
我慢しすぎると、ストレスになるし、とかネガティブに考えがちだ。
引きこもり状態の生活になる前は、カップラーメンなどを寝る前に食べることもあった。
とにかく、カップヌードル系が大好きで、つねに常備していた。
いまは、そんな欲が出てこない。
カップラーメンを自分の部屋でテレビ見ながら、食べて寝る。
当たり前に思っていたことがいまは、危険が伴う。
自分の部屋にポットを置けばいいじゃないかというのもあるが、そこまではしたくない。
台所からお湯を入れて無事に歩いて、カップを持って来れるか不安である。
いまは、外食というのもない。
牛丼やラーメンはこれまで自分の食生活で欠かせないものだと思っていた。
それがいまやそんなことすら考えない、考えられない。
まず、飲食店に行こうと思えない。
店に着いたとして、狭い店内の通路を無事に歩いていける自分が想像できない。
車椅子で店内で移動するとしても、なんとバリアフリー度が普及していないか、こんな状態になってみてよくわかる。
飲食店によっては、入り口だけバリアフリーだが、あとの店内は何も考慮されていないとか普通にあるのではないか。
たとえば、飲食店のトイレとか。
ここのトイレ狭いな、と思うことはあっても、広いと感じたことはあまりない。
そんなことが頭をよぎり、食欲がわかなくなってしまったのかもしれない。
言い換えると、食欲に執着がなくなったといっていい。
そして、それがいいことなのか、そうでないのか。
そんなことを思う、令和元年12月30日の夜のこと。
ではでは、また明日。