精十郎日記

若年性パーキンソン病とDBS(=DeepBrainStimulation脳深部刺激療法)と僕(40代・次男)

食欲は、あまりあるほうではないと思う。

毎日3食欠かさず食べるが、それほど量は入らない。

毎食、母の作ってくれたものであることがほとんど。

それは感謝するしかない。

自分は、恵まれている環境だと思う。

 

8時、11時、18時の時間にほぼ毎日決まっている。

母の都合も考慮されたものだ。

食後に薬を服用する。

あと最近は大丈夫になったが、完全にオフになってしまうと、動けないので、無理のないように、食間・食前などにも薬を服用することもある。

 

食事のときは、水分をなるべく多く摂る。

薬の服用を考えて、体内でできるだけ薬が溶けやすい状態をつくっておく。

あと、今年の夏からだが、お茶もカフェインが含まれており、利尿作用があるらしく、脱水状態になる可能性を考慮し、食事中はお茶ではなく、水を飲んでいる。

大きめのコップに1杯は必ず飲む。

 

小腹が空くことは、ある。

そのときは飴玉を舐めている。

自分的に「龍角散ののどすっきり飴」はマストである。

空腹感もまぎれるし、気分転換にもよい。

1種類では飽きるので、何種類かののど飴系がいつもある。

 

間食もいまではほとんどしない。

毎週土曜日は、コンビニに行くので、そこでついついスウィーツ(あんこ系)を買ってしまうが、やっぱり胃に残っていて、胃もたれたまま、夕食になることが多い。

こうなると、作ってくれた母に申し訳ない気持ちだけで、食べている感じになる。

あまり味わって食べるということがない。

あまりこれは、心身ともによくないところだが、なにごともバランスを考えたいところだ。

我慢しすぎると、ストレスになるし、とかネガティブに考えがちだ。

 

引きこもり状態の生活になる前は、カップラーメンなどを寝る前に食べることもあった。

とにかく、カップヌードル系が大好きで、つねに常備していた。

いまは、そんな欲が出てこない。

カップラーメンを自分の部屋でテレビ見ながら、食べて寝る。

当たり前に思っていたことがいまは、危険が伴う。

自分の部屋にポットを置けばいいじゃないかというのもあるが、そこまではしたくない。

台所からお湯を入れて無事に歩いて、カップを持って来れるか不安である。

 

 

いまは、外食というのもない。

牛丼やラーメンはこれまで自分の食生活で欠かせないものだと思っていた。

それがいまやそんなことすら考えない、考えられない。

まず、飲食店に行こうと思えない。

店に着いたとして、狭い店内の通路を無事に歩いていける自分が想像できない。

車椅子で店内で移動するとしても、なんとバリアフリー度が普及していないか、こんな状態になってみてよくわかる。

飲食店によっては、入り口だけバリアフリーだが、あとの店内は何も考慮されていないとか普通にあるのではないか。

たとえば、飲食店のトイレとか。

ここのトイレ狭いな、と思うことはあっても、広いと感じたことはあまりない。

そんなことが頭をよぎり、食欲がわかなくなってしまったのかもしれない。

 

言い換えると、食欲に執着がなくなったといっていい。

そして、それがいいことなのか、そうでないのか。

そんなことを思う、令和元年12月30日の夜のこと。

 

ではでは、また明日。